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件名 見沼通船堀と浦和民家園
主催 埼玉雑学大学 
イメージ画像  
日時 2019年4月3日 午前9時30分 JP東浦和駅集合 弁当持参 雨天中止 
締切日 2019年3月25日 
会場  
地図・案内図
 
定員 30名 
対象者 一般市民 
申込方法 事前にメールまたは郵便ハガキにて佐々木宅まで 
費用 参加費500円 弁当持参 
内容詳細 見沼通船堀(国指定史跡)
享保16年(1731)に開通した、わが国最古の木造の閘門式運河である。通船堀は見沼代用水西縁と東縁が最も距離が近づく、八丁堤の北側に造られた。両用水の中央を流れる芝川と代用水は3mの水位の差があったので、それぞれ2箇所の関を設け、水位の調節を行い船を運航した。 この、通船堀の開通により、水運の範囲が広がり、荒川、隅田川を通り、この周辺の村々と江戸が結ばれた。江戸へは、見沼周辺で取れた農作物や、 薪、柿渋、味噌、醤油などを運び、江戸からは肥料や、油、日用品などが、 村々にもたらされた。
見沼通船に使われた船は「ひらたぶね」と呼ばれる底の平らな長さ11m、幅2m程のもので約60Kgの米俵100〜150俵積みの小型船で、江戸からきた船が八丁河岸に着くと船頭は、近所の人に声をかけ人々を集めた。およそ20人位の人々が土手から綱を引いて一の関に入る。その後、一の関水門を閉じ水位を上げて二の関に入り、二の関水門を閉じ水位を上げて代用水に到着する。関を閉じるには角落(かくおとし)板と呼ばれる板を取り付けて閘門を閉鎖する。逆の場合も要領は同じである
木曽呂富士塚
富士塚は富士山を模して築造した塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心やすく富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。
木曽呂の富士塚は、地元で「ふじやま」または「木曽呂浅間」と呼ばれ、見沼代用水と通船堀の連結点の縁に築造されたもので、高さ5.4m、直径20m、塚全体が盛土で築かれている。頂上には火口を見立てた穴がありお鉢巡りができ、中腹には、お鉢巡りができるよう火口が掘ってあり、又、今日では入口が埋没しているが、塚を貫いて胎内くぐりの穴を設けている。
 富士塚の麓には、文化2年(1805)造立の蓮見知重の碑があり、富士塚築造の由緒が刻まれている。

 
問い合わせ先 佐々木まで メールアドレス zatuaki522@kkd.biglobe.ne.jp 
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