NPO法人 岩槻まちづくり市民協議会
                             

第3回岩槻学クイズ(第5回やまぶきまつりで出展)

第5回やまぶきまつりに、NPO岩槻まちづくり市民協議会は出展し、第3回 岩槻学クイズを実施しました。問題と解答・解説は次の通りです。※実際は三択でした。
問題1 岩槻には昔の名前が残っています。区役所の裏通りの名前は何と言いますか?
  2 元荒川末田須賀堰近くにある赤天狗・青天狗の絵馬で有名な神社の名前は何と    いいますか?
  3 駅の近くで風情あるかやぶき屋根のお寺はどこですか?
  4 岩槻人形の祖と言われている橋本重兵衛が考案した人形は何と言いますか。
  5 上野のわしの宮神社で1月1日に行われる伝統行事は何と言いますか。
  6 慈恩寺の十三重の塔には、偉い人の霊骨が奉安されています。その人の名は何    と言いますか。
  7 元荒川の希少植物キタミソウの花が咲き始めるのは何月頃ですか。
  8 岩槻産の新鮮野菜を販売している所の名称は何と言いますか。
  9 国の指定文化財の真福寺貝塚は、今から何年くらい前のものですか。
 10 久伊豆神社では、由緒ある神事が復活しました。何という神事ですか。
 11 祭神はスサノオノミコト、市宿の市が開かれる神社の名前は何と言いますか。
 12 岩槻出身、フランスで活躍した裸婦を描いた画家の名前は何と言いますか。
 13 時の鐘の隣に大きないちょうの木があります。これを植樹した人は誰ですか。
 14 尾ケ崎にある寺で、本尊に虚空蔵菩薩が祀られている寺院の名前は何といいま    かすか。
 15 岩槻で一番生産量の多い野菜は何ですか。


 
   

問題1 解答 裏小路
『解説』岩槻城内では、城下の武士が住む地区の通り名は「小路」、庶民の住む地区は「町」と呼ばれていました。裏小路は横町通りから遷喬館を通って渋江小路に至る侍屋敷の路名。諏訪小路は太田1丁目の諏訪神社にちなんで付けられた小路。広小路は渋江小路から岩槻城大手門に至る路名となっています。
問題2 解答 第六天神社  『解説』奈良時代には願いが叶った時に神の乗り物として馬を奉納していました。しかし、馬を奉納できなかった人は、木や紙で作った馬の像で代用するようになったのが絵馬の始まりと言われています。
第六天神社の境内の大樹には大天狗・烏(からす)天狗が宿り、奉拝者に御神徳を授けたとされる故事により、向い合った天狗の絵馬が描かれています。また、古来より耳病・頭痛等の病に霊験著しい護符として、神錐(きり)が伝えられています。満願の時には神錐を2本納めて戴くものです。現在、境内には数千本の神錐が納められています。
問題3 解答 願生寺
『解説』願生寺は延文2年(1357年)開基、大永2年(1522年)開山された浄土宗の寺院です。「かやぶき」の本堂は江戸時代中期(1700年頃)の建物とされています。本尊には阿弥陀如来が祀られています。また、さいたま市指定有形文化財の阿弥陀三尊図像月待供養塔板碑が墓地の中程にあります。
問題4 解答 かみしも雛
『解説』江戸時代末期(1804年〜30年頃)、久保宿に住んでいた人形師・橋本重兵衛は「裃雛(かみしもびな)」を考案し、岩槻人形の基礎を創ったと言われています。人形は岩槻周辺から埼玉全域、群馬にかけても流行しました。区役所正面の大龍寺に橋本重兵衛のお墓があります。
裃雛は裃人形とも呼ばれ、かつては雛人形とともに雛祭りに飾られていた人形です。通常の雛人形に比べ作りが簡素で衣装も略されていることから、安価で庶民にも求めやすい人形だったようです。かしこまったたたずまいがたたえる、愛くるしい表情は衰えることはなく、今も人々をひきつけています。
問題5 解答 甘酒まつり
『解説』上野にある鷲宮神社は、鷲宮町にある鷲宮神社の分社にあたります。商売繁盛、五穀豊穣などの御利益があります。
1月1日行われるに元旦祭では、4人が7杯ずつの甘酒、小豆ご飯を食べる年番引渡しの儀式が行われます。儀式が終わると甘酒が振舞われます。この儀式にちなんで「甘酒まつり」といわれています。
問題6 解答 玄奘三蔵法師
『解説』「三蔵」とは僧の称号で“訳経三蔵”や“聖教三蔵”、あるいは“三蔵法師”などと呼ぶことが多いようです。“三蔵法師”と呼ばれる
高僧の中で最も有名なのは唐代の僧・玄奘三蔵であると言われています。
日中戦争当時の昭和17年、南京市の中華門外にある雨花台で、
旧日本軍が玄奘の墓を発見しました。石棺内に納められていたのは頭骨で、その他に多数の副葬品も見つかりました。この玄奘の霊骨の扱いに関しては、日中で協議を経た後、分骨することで決着しました。中国側は、北平の法源寺内・大遍覚堂に安置し、日本側は、芝の増上寺、蕨の三学院を経て慈恩寺に安置されました。その後昭和55年には奈良の薬師寺「玄奘三蔵院」に一部分骨されています。慈恩寺に安置されたのは、三蔵法師ゆかりの唐大慈恩寺と縁があったためと言われています。また、関係者の熱意により、昭和25年、東武鉄道の根津嘉一郎氏寄贈の十三重の塔にまつられました。
問題7 解答 10月ころ
『解説』「キタミソウ」は北海道の北見地方で発見されたため、この名前がつきましたが、北海道では絶滅したとも言われています。本来はツンドラ地帯で夏に生育する植物ですが、温暖な埼玉県東部と熊本県の湖に限り生育していることなど、とても不思議な植物です。
岩槻区内では元荒川永代橋付近が主な生育地で、10〜11月末頃から見ることができます。葉はヘラ状で、花は白く2mmほどでとても小さく、いろいろな植物が隣り合わせになっていますので、なかなか見つけることができません。最盛期には絨毯(じゅうたん)を敷いたように一面に群生します。農業用水と密接な関係を保ち生育しているとても希少な植物です
問題8 解答 あさつゆの里
『解説』JA南彩岩槻農産物直売所「あさつゆの里」では、山東菜・小松菜・トマト・くわい・ホウレンソウなどが販売されていますが、特に貴重でオススメなのは、「岩槻ねぎ」、岩槻産のブランド米「はくつる舞」です。また、同連合会が開発した「地元岩槻産の野菜アイス」も販売しています。この「地元岩槻産の野菜アイス」は、「山東な」「トマト」、「ルッコラ」、「ねぎ」、「くわい」、「小松菜」、「サラダからしな」の7種類があり、是非ご賞味ください。
問題9 解答 およそ3000年前
『解説』真福寺貝塚は、縄文時代後期から晩期(今から約3500年から2800年前)にかけて営まれた貝塚・集落跡です。大正時代から幾度となく発掘調査が行われ、学史上の重要な土器などが発見された事から「標識遺跡」であることがわかり、昭和50年に国の史跡に指定されました。台地には貝塚が直径100mの円形に分布し、多数の住居跡も見つかっています。貝塚には当時の人が食べた貝、動物、魚の骨が残され、低地にはカゴやクルミやトチの実など植物の種も見つかっています。また、女体を象徴する「みみずく土偶」が発見され、貴重な遺産となっています。
問題10 解答 黒奴
『解説』久伊豆神社は1400年前、欽明天皇の時創建したものと伝えられています。その後岩槻城築城の際、城の鎮守として奉鎮され、その後は江戸城
の鬼門除として祈願されました。
黒奴(やっこ)は日光の赤奴、甲府の白奴とともに日本三大奴と称され、久伊豆神社の神事として江戸時代後期に始まったとされています。その始まりは徳川幕府が軍用資金を調達するため、奴行列を岩槻藩に振当てたとの説が有力となっています。神事は明治18年、昭和8年に行われたとの記述がありますが、昭和29年を最後に途絶えてしまいました。この伝統行事を59年ぶりに復活させようと、商工会議所青年部の有志が立ち上がり、神社関係者や市史編さんに携わった人を招いて勉強会を開き、奴踊りの講師を京都から招き、振り付け練習などを重ねて披露することができました。
問題11 解答  八雲神社
『解説』室町時代末期の永禄3年(1560年)、勝田佐渡守が正月に市(いち)を開設した折に市の守護神として祀ったのが創建とされ、市(いち)神社とも呼ばれ、武州一の市が開かれていました。江戸時代は「牛頭天王社」と称され、明治に入り八雲神社と改称され現在まで親しまれてきました。「八雲」とは、古事記にみる「夜久毛」にちなんで名付けられたと言われています。近年までは毎月1と6の付く日に「六斉市」と呼ばれる市が開かれていました。このため、前の通りを「市宿通り」と呼んでいます。現在「市宿の市」は5月と11月に開催されています。
問題12 解答  田中保
『解説』田中保は1886年岩槻藩士、田中収の4男として生まれました(現在の本町4丁目)。16歳の時父の死により破産。家族は離散状態になり、その後渡米し画家の道を独学で志しました。1915年初めて個展を開き、同年アメリカ代表としてサンフランシスコ万国博覧会に出品しました。しかし、
裸婦を描いた作品として風紀上好ましくないとして撤退勧告を受け、これに対し、抗議文を発表し信念を貫きました。1920年パリに移住し、多くの作品が認められ画家としての地位を築きました。しかし、1941年ドイツ占領下のパリで病死します。享年55歳。遺髪は菩提寺である芳林寺に埋葬されました。また、アーネスト・ヘミングウェイとも交友関係があったようです。風貌が、チャールズ・チャップリンに似ていることから、しばしば間違えられたとも言われています。岩槻区役所は、田中保の作品《月光》を購入し、収蔵しています。
 
問題13 解答 九条道孝公爵
『解説』時の鐘は、寛文11年(1671年)、城主阿部正春の時に創建されました。現在の鐘は享保五年(1720年)再建されたものです。寛延3年(1750年)には10ヶ所あったと言われる幕府公認の江戸の時の鐘と近郊藩の岩槻、川越の時の鐘の中で、現在も日に複数回の時を知らせ続けているのは上野寛永寺、岩槻、川越の3ヶ所だけとなりました。 この中で、現存する鐘としては岩槻の鐘が最も古く、岩槻の鐘(1720年制作、2001年より機械で撞)、上野の鐘(1787年制作、今でも人が撞いている)、川越の鐘(1894年制作、昭和50年より機械で撞く)とな
っている。鐘はすぐ側に住む岩槻藩士の末えい倉持氏が職業柄いつも自宅にいて適任ということで頼まれ、2000年末日までついていました。
時の鐘隣のイチョウの木は明治29年(1896年)岩槻藩主大岡忠光候の拝礼式の際、九条道孝公爵が記念に植えたものです。九条道孝公爵は、明治天皇の相談役で、三女節子さんは大正天皇の皇后(貞明皇后・昭和天皇の母)になられた方です。

問題14 解答 勝軍寺
『解説』真言宗智山派の寺院。桶川市倉田の明星院の末寺で、愛宕山聞持院護摩堂といい、本尊に虚空蔵菩薩が祀られています。天正2年(1574年)
仁和寺より「勝軍寺」を賜ったとされています。虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味です。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されています。  
問題15 解答 小松菜
『解説』岩槻区ではかつて米を代表として、大根や芋類といった野菜が中心であったが、都市化とともに小松菜やほうれん草、ルッコラといった野菜が中心になっています。現在、小松菜の生産が最も多く、1000トン弱、ほうれん草が400トン弱となっています。小松菜は主に柏崎地区、新和地区、和戸地区、川通り地区で多く栽培され、作付け面積は50haにも及んでいます。平成13年、岩槻の文化の再発見と継承を目的に同区地元有志により結成された『岩槻ときめき文化の会』が、「岩槻ねぎ復活」を企画しました。2009年5月に開催された「第4回埼玉B級グルメ王決定戦」では、『岩槻ねぎ倶楽部』を結成し、「岩槻ねぎ塩焼きそば」を掲げて出場。結果は、初登場ながら見事『準優勝』を獲得しました。

前のページへ戻る
さいたま市市民活動サポートセンター