FYC
                             

論語の『中庸』について

八回目は「論語」の中心課題である『中庸』について、楽しく学習しました。

「論語」読みの論語知らずという言葉がありましたが、今日では孔子も論語も何のことやらさっぱり分からないという人が殆どではないでしょうか。

ご存知のとおり江戸期以前に学問といえば儒教、それも「論語」を素読する事から始まるのが普通でした。その当時でさえ孔子の教えの本質を正しく理解することは考えるほど簡単ではなかった。

なかでも中庸の概念は、「誤解」と「曲解」のオン・パレードだったのではありますまいか。過激や極端を拝して、両極端の中間を取る − といった至極、穏やかで常識的な解釈が主流だったのではないでしょうか。

当らずと言えど遠からず、と申し上げたい所ですが、中々どうしてそんなものではありません……。



前のページへ戻る
さいたま市市民活動サポートセンター