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夏目漱石の『我輩は猫である』から文学の本質を検証

「四つの幸せ塾」六回目の楽しい学び、は明治の文豪・夏目漱石の「我輩は猫である」をテーマとして行いました。

 ご存知のように漱石はイギリスに留学した経験を持つ英文学者ですが、江戸以前の知識人の基本的教養であった漢文系統の知識も相当のものがあり、その該博振りは「我輩は猫である」にも遺憾なく発揮されています。

 リーダーの教師である苦沙彌先生の家の飼い猫が語るスタイルを採ってはいますが、固より作者の漱石自身の人間・社会一般に対する観察と所懐とが述べられているもので、なかなか深く鋭い文明批評なども交えて、しかし表面的には一匹の猫の視線から、面白おかしく、ストーリーが進行する。
 
 これは私・草加の爺の持論ですが、文学とは何を題材にしても良いし、それをどの様に「料理」しても構わない。ただし、その出来上がった作品が先ず第一に「万人の肥えた舌に堪えうる」美味なる味わいを有していなければならない。

 最上の娯楽だけではいけない、最高の芸術 − つまり「心の垢を拭い去る」カタルシスを齎す力を蔵するものである必要がある。まあ、ざっとこの様な具合に、漱石の文学の魅力を具体的に鑑賞したわけです。



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